「人と同じだからやりたくない」と思うことは、本当にやりたいことじゃないのかも。
「人と被っていてもやりたい」と思うことが、本当にやりたいことなのかも。
それくらいやりたいと結果、人と同じじゃなくなるということなのかも。
と、さっきふと思ったのでメモしておきます。
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さて、先日、新宿の某ホテルで開催された「東洋医学学術会」の講義を拝聴してきました!
テーマは「養生」。
江戸時代に、貝原益軒が日本語に訳した「養生訓」という健康・長寿本があり、それは命の尊さそのもの。
体をここまで大事にできるのかというほど、衣食住+運動からの養生法が語られています。
84歳で亡くなる前年に出版されたとか。
当時の84歳はおそるべき長寿ですよね。
私の愛読書はハードカバーで絶版のようなんですが、文庫版はありました。
「すらすら読める養生訓」
古文好きな方は原文で。
訳すと写経みたいで心が落ち着く♪
岩波文庫「養生訓」
「養生」は、定義もまちまちだったそうです。
長生きを目指すことだ、いやいや苦しく長生きしても仕方ない、心地よく寿命を全うすることこそが養生だ、いや西洋ではかのソクラテスが「自己への配慮」と訳したのだ、とでてくる、でてくる、養生談義。
当時は養生論争なる争いまで起きたそうです。
この日、4人の教授が、それらをふまえた「養生」についての知見を述べられたのですが、東洋医学愛がすごかったなー。
長年のご研究。
拝聴できて、ありがたさしかありませんでした、
最後に、
ご自身は「養生」をしているのかどうか?
ということに話の矛先がむいたとたん、博士一同、相好を崩され「そんな目線で研究したことなくて…」みたいな空気になり、会場、笑い。
けれど養生していないは、きっとご謙遜。何らかお気に入りの健康法を実践されてるのではないかなー。
だって、歴史を超えて一番心に残ったのは、先生方の人間力でした。意見が違っても争わない、すかさず相手をたてるんです。
東洋医学に携わる人ってやはり器が大きい。
この日の「養生」についてのメモ、いま大量に手元にあります。
養生の歴史を紡ごう、必ず!
↓新宿で並んで食べてみたタピオカ。
トウファ(豆花)とゆでピーナッツと小豆が絶妙。おいしい!